『遺言』 養老孟司

『遺言』

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わたしの好きな著者、養老先生。

一度神戸女学院でも講演会をされていました。

 

『遺言』を読んだ感想です。

 

この本では、養老さんが「ヒトとは何か、生きるとはどういうことか」を問いにし話を展開しています。

これに対しての答えは次のページで明かされ、それは「無心に遊ぶ姿」と、なんとも養老さんらしいお言葉です。

 

養老さんは、その姿をあまり見なくなり、今の時代何かが変だと感じています。それは「無意味なものが許されなくなっている」空気です。

それに対してこの本で警鐘をならしています。

 

私は普段生活している中で「それをすることで何の意味があるの?」や「本なんて今の時代ケータイで読めばいいじゃないか」という類の質問をされることがよくありました(そういう人たちは歳を重ねるにつれ私の周りからいなくなってきましたが)。

私はその質問に対し、もごもごしていました。

 

しかし養老さんのお言葉を借りれば、「感覚所与」を大切にしたいんだと答えることができます。

それは例えば本であれば匂いや肌触り、重みといった「感覚器に与えられた第一印象」です。

 

ただ人間の脳は「同じとする働き」を持ちます。(音で聞いた「あ」が、紙に書かれている「あ」と同じ、とわかる仕組みのように、各感覚器官で得た情報は脳で「同じ」言葉になりますね、そして意識になります。意識は秩序活動であってランダムにはできません。だから「人は秩序正しく生きる」のです。

 

そのため、秩序正しく生きようと思ったら、人それぞれの感じ方やとらえかたは、身体が違えば絶対同じにはならないので、「感覚所与を限定し、意味とを直結させあとは遮断」しようとします。この「遮断」が問題なんです。

 

脳ってそういう仕組みだからしょうがないんだけど、でも「遮断」せずに、無意味・無秩序・自然にもっと寛容になるべきだよ、と養老さんは言いたいのだと感じます。そうすれば世界には「無心に遊ぶ姿」ヒトが増えて、生きやすくなる人が増えていくのではないかなと感じました。

 

(※養老さんの本は、こうしたらいいとは絶対に書かれていません、読者に考えてもらうためだと思いますが。だから最後は突然感想になりました。)