夢でなく「志」
先日とてもいいお話を聞くことができました。
池上六朗先生の講習では、治療院の方や整体の方もいらっしゃいますが、わたしのように全くそれらとは関係のない職の人たちもいらっしゃいます。
この間の講習では歴史上でとても有名な方がご先祖のDさんがいらっしゃっておりました。
Dさんは今、教育関係で活動されているそうで
「志(こころざし)」を教育に復活させるために動いているとお話しされておりました。
明治以前の教育には「志」という教育があったそうですが
今では「夢」という言葉に代わっているそうです。
それが今の日本を衰退させている根本のひとつだと説いていました。
例えば
「医者になることが夢です」という人がいたとして
なんで?と聞くと「なんとなく、親がやってるし、お金が儲かるから」
という答えが返ってくることが多いそうです。
この目指すとろこまでの「なんでそうしたい?」というところに「志」が隠れています。
つまり「夢」は「志」を省略して言えますが、
その省略された「志」をしっかりもとうということだそうです。
それはつまりお金や社会の流れから一旦身を引いて、自分を見つめるということだと思います。
例えば 医者を目指している人は
「ああ、自分は人間の解剖本を時間を忘れて読むことが多いし、興味があるんだな。自分が骨折したときになぜか骨の仕組みが気になったり、けがをした友人を自分で治せるならどんなにいいだろうかと考えたりしていたな。」
と、お金や親の職業にとらわれることなく「病気やケガで苦しんでいる人を治したい、自分の興味を追求したい」と誰かのため・なにかのためにという「志」を考えてほしいとのこと。
「志」を持つためには、自己を掘り下げていく必要があると思いました。
自分は何を感じて、何に身体が反応して、何が不愉快で、何を好んでいて、何に対して弱くて、などなど。
そうすると結構つらいことも出てきます。
だって、自分の弱いところと向きあわなきゃならなくなってくるから。
でもその弱さを克服することも「志」の中に含まれてくるのではないでしょうか。
馬の話につなげると、馬は人間の精神的な弱さを丁寧にも教えてくれます。
同時に自信をもつけてくれます。
だから私は個人的に生涯馬とともに生きたい、そして馬を通して社会に貢献できるなら、と思って今勉強しています。
この話はちょっとそれるので、また今度別記事で。
「志」をもって夢を実現させるって、かなり苦しいこともあると思うんですが、それが強さになって魅力的な人になるんでしょうね。
大きなお金を動かす人や、政治家さんなんかも「志」があるかないかで行動がまったく変わってくるでしょうし、ぶれないのかなあって。